万田発酵

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万田酵素誕生秘話
私たちの原点は、因島で300年以上つづいた日本酒の造り酒屋。脈々と受け継がれた伝統と技術は、やがて「万田酵素」の完成へと結びつきます。こちらでは、その歴史と誕生秘話をお話しします。

因島から世界へ、「万田酵素」が生まれるまで

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妊婦さんに食べてもらって、元気な赤ちゃんを産んでほしい
万田発酵の創業者である松浦新吾郎は、元禄時代から代々つづく清酒「万田」の蔵元である「田中屋」の11代目当主として生まれました。少年時代の新吾郎は、毎日が探究心でいっぱい。自然界の生き物に興味がわき、やがてその思いは生態学への情熱に変化していきます。
やがて高校を卒業する頃、「自然の不思議を解き明かし、人と地球の環境に貢献したい」という志を胸に、静岡の農業試験場で育種を学ぶ日々が始まりました。そんなある日、種の善し悪しは”親からの遺伝”と”育つ環境”に左右されることを知ります。「育つ環境をととのえれば、種はもっと理想的に育つ。これを酵素のチカラで向上させることはできないか」持ち前の探究心に火がつきました。酵素の秘密を徹底的に解明するため、20歳の春、新吾郎は東京農大へと進学。大学では造園科に籍を置きましたが、学ぶのはもっぱら育種と発酵でした。

365日、発酵への情熱に突き動かされる日

父が病に倒れ、因島に帰郷した後も、発酵に対する情熱は冷めません。古い酒蔵を実験室にすると、朝から晩まで閉じこもりきり。 26歳で妻直子と結婚してもなお、発酵への想いは過熱するばかりでした。 酵素は環境に左右されやすい生き物。コントロールが実に難しく、うまく発酵させるのにも四苦八苦です。 失敗を繰り返した新吾郎は自殺まで考えるほど、のめり込んでいました。
年月が経ち、新吾郎はようやく「万田酵素」の原点となる発酵食品をつくることに成功。 妻が妊娠したのも、ちょうど同じ頃でした。
家畜に食べさせ、また自らも食べて立証した「万田酵素」に強い自信があった新吾郎は、周囲の反対を押し切り、直子に試作品を食べさせました。「妊婦さんに食べてもらって、元気な赤ちゃんを産んでほしい」そんな思いがあったのです。 直子はすこやかな毎日を送り、まるまるとした赤ちゃんを安産で出産。「万田酵素」の評判はまたたく間に広まり、買いにくる人が増え始めました。

23年間の研究で生まれた、技術と情熱の結晶

1984年、当初は量り売りだった商品を瓶詰めすることに成功。正真正銘の「万田酵素」が完成したのです。このとき新吾郎は41歳、研究に23年間をついやしました。しかし、販売が軌道に乗るまではさらなる苦労の連続。身ひとつで東京に乗り出し、生活もままならないまま「万田酵素」を売り歩きました。
あれから幾年が流れ、因島に大きな工場が建った現在も、新吾郎の信念が変わることはありません。「自然の恵みを、人と自然のために役立てたい」。その思いは海を渡り、今では世界30ヵ国以上の人々に「万田酵素」をご愛用いただくようになりました。
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